MELC(長岡ゼミ)のブログ

実社会のサードプレイスへ

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IMG_5556.jpg私は、4月23日に「サードプレイスとしての本屋を考える」という武蔵新城駅のすぐ近くの新城劇場という古本屋で行われたイベントに参加した。
通りに面している壁はガラスで出来ており、通りすがりの人も中を覗くことができる。また、本を置くブースが4つほどあり、古本屋ではあるが新書も取り扱っていた。このブースに特徴があるのだが、1つ1つのブースにはそれぞれ関連のある本が1つのブースとしてまとめて置かれている。なぜこのようにしたか。それには、新城劇場のプロデューサーである西田卓司さんの体験が元になっているそう。以前、別の本屋さんで、本屋の店主さんの「街にカフェが欲しい」という気持ちから、カフェに関連する本のゾーンを作り、ディスプレイもカフェ風にしたところ、後に本当に街にカフェが出来たという話から、新城劇場もそのような並べ方にしたそう。私はこのあまりのドラマティックな話に鳥肌がたった。
このイベントでは、イベント名の通り「サードプレイスとしての本屋を考え」たりもしたが、私にとって中心の議題は「そもそもサードプレイスとはなんだろう?」であった。また、「中高生にとってのサードプレイス」にも関心が向いた日であった。
「そもそもサードプレイスとは?」という話。サードプレイスとは、家でもなく学校や職場でもない、心安らぐ第3の居場所のことである。それを踏まえて、それぞれ中学生の時くらいのことを思い出し、自分にとってのサードプレイスがあったかどうか話していた。
私は、小学校の頃は当時住んでいたマンションの隣に広大な空き地があり、そこでいつも遊び、嫌なことがあった時も1人で寝転びに行ったりしたため、今思えばサードプレイスとして機能していたのではないかと思う。しかし、小学校3.4年生の時に「立入禁止」という札が立ってしまったことと、引っ越してしまったため、サードプレイスが失われた。
中学生の頃は、サードプレイスは無かった。しかし、ネットをサードプレイスと呼ぶことができるのならば、ネットがサードプレイスであった。友達や親に言いづらい、言うタイミングや雰囲気がなかったことから、ネットで満足を得ようとしていた。ただ、私の場合は、引きこもってはいなかった(勇気がなかった)し、SNSに匿名で自分の気持ちを投稿するだけだった。ネットにしか心を開いている人がいなかったら、いざ本当に自分が辛くなった時、助けてくれる人がいない。しかし、誰かと繋がっていて実際に会うことができるならば、助けてくれるかもしれない。やはりネット上だけでなく、現実社会にも何でも言えるような人、自分が落ち着く居場所があれば様々なトラブルを防げるかもしれない。
そして、イベントの中での発見は「サードプレイスは作るものではなく、できるものである。」ということ。サードプレイスというのは、家でもなく学校や職場でもない、心安らぐ第三の居場所というだけあって、気持ちとの関わりが深く、それぞれサードプレイスだと思う場所が違う。サードプレイスと名付けた場所を作ったとしても、そこがみんなにとってサードプレイスとなるとは限らない。そもそも提供するのが難しい。
しかし難しいからこそ、より多くの人がサードプレイスを持つために、動いていくことが大切なのではないか。引きこもりの子に限らず中高生にとってのサードプレイスを考えた時に、やはりSNSなどのネットからのアプローチが有効なのではないかと思う。多くの中高生がSNSを使っているというのと、引きこもりの子に関して言えば、やはりいきなり外の世界に連れ出すのではなくネット上である程度準備をしておいた方が良いだろう。だが、ネット上には危険が沢山潜んでおり不安な面もある。また、ネットというのは親の目が行き届かない部分もある。そこで、親にも理解が得られる、かつネットから外の世界に安全に連れ出してあげられるような仕組みが必要である。
私は、4月23日に「サードプレイスとしての本屋を考える」という武蔵新城駅のすぐ近くの新城劇場という古本屋で行われたイベントに参加した。
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通りに面している壁はガラスであるため、通りすがりの人も中を覗くことができる。店内もゆったりとした雰囲気で、本を置くブースが4つほどある。このブースに特徴があるのだが、1つ1つのブースにはそれぞれ関連のある本が1つのブースとしてまとめて置かれている。なぜこのようにしたか。それには、新城劇場のプロデューサーである西田卓司さんの体験が元になっているそう。以前、別の本屋さんで、本屋の店主さんの「街にカフェが欲しい」という気持ちから、カフェに関連する本のゾーンを作り、ディスプレイもカフェ風にしたところ、後に本当に街にカフェが出来たという話から、新城劇場もそのような並べ方にしたそう。私はこのあまりにもドラマティックな話に鳥肌がたった。
IMG_5556.jpg
このイベントでは、イベント名の通り「サードプレイスとしての本屋を考え」たりもしたが、私にとって中心の議題は「そもそもサードプレイスとはなんだろう?」であった。また、「中高生にとってのサードプレイス」ににも関心が向いた日であった。
「そもそもサードプレイスとは?」という話から始まった。サードプレイスとは、家でもなく学校や職場でもない、心安らぐ第3の居場所のことである。それを踏まえて、それぞれ中学生の時くらいのことを思い出し、自分にとってのサードプレイスがあったかどうか話していた。
私は小学校の頃、当時住んでいたマンションの隣に広大な空き地があり、そこでいつも遊び、嫌なことがあった時も1人で寝転びに行ったりしたため、今思えばサードプレイスとして機能していたのではないかと思う。
中学生の頃は、サードプレイスと言える場所は無かった。しかし、ネットをサードプレイスと呼ぶことができるのならば、ネットがサードプレイスであった。友達や親に言いづらい、言うタイミングや雰囲気がなかったことから、ネットで満足を得ようとしていた。もし、ネットにしか心を開いている人がいなかったら、いざ本当に自分が辛くなった時、助けてくれる人がいない。しかし、誰かと繋がっていて実際に会うことができるならば、助けてくれるかもしれない。ネット上だけでなく、実社会にも何でも言えるような人、自分が落ち着く居場所があれば様々なトラブルを防げるかもしれない。
イベント中に盛り上がり納得したのが「サードプレイスは作るものではなく、できるものである。」ということ。サードプレイスというのは、家でもなく学校や職場でもない、心安らぐ第三の居場所というだけあって、気持ちとの関わりが深く、それぞれサードプレイスだと思う場所が違う。サードプレイスと名付けた場所を作ったとしても、そこがみんなにとってサードプレイスとなるとは限らない。そもそも提供するのが難しい。
しかし難しいからこそ、より多くの人がサードプレイスを持つために、動いていくことが大切なのではないか。引きこもりの子に限らず中高生にとってのサードプレイスを考えた時に、やはりSNSなどのネットからのアプローチが有効なのではないかと思う。多くの中高生がSNSを使っているというのと、引きこもりの子に関して言えば、やはりいきなり外の世界に連れ出すのではなくネット上である程度準備をしておいた方が良いだろう。だが、ネット上には危険が沢山潜んでおり不安な面もあるうえ、ネットというのは親の目が行き届かない部分もある。そこで、親の理解が得られ、かつネットから実社会に安全に連れ出してあげられるような仕組みが必要ではないだろうか。少しずつでも動いていきたい。

 

カテゴリー: めろん 越境レポート

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