MELC(長岡ゼミ)のブログ

"自分のなんで実験室"から学んだこと

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1月12日に四谷おもちゃ美術館地下一階にあるCCAAアートプラザと四谷三丁目ランプ坂アートギャラリーで開催されている自分のなんで実験室に行ってきた。自分のなんで実験室のホームページの一番最初に記されている「はじめに」を読んでいただければわかるが、私も違いは違いのまま伸びていった方がおもしろい、と思っている。みんな一緒ではやはりおもしろくないし、人間は誰しも見た目や性格、考え方などが違う生き物であるからだ。しかし無意識のうちに自分とは違う考え方や価値観を持っている人を受け入れられず、軽蔑をしてしまってはいないだろうか、とも思った。正解のない物事に取り組んでいるときに自分と考え方が違うから、という理由で軽蔑をしてしまうのはものすごくもったいないことである、ということをこの「はじめに」を読んで改めて感じた。

IMG_1601.jpg▲四谷おもちゃ美術館入口。この建物の中に入り、ひとつ階を下がると自分のなんで実験室の会場があった。


また会場に入ると一番最初に目に入ったのが「かんそうの集う場」であった。これはポストイットに感想を書き、それを壁に貼っているものである。私はこの”自分のなんで実験室”を訪れるにあたって持っていた情報が、大人も子どもも誰もが楽しいと感じれる場、ということだけだったのだが、ここでは特に大人の方たちの「楽しかった!」といった感想の多さが印象的だった。そして私自身もこの先でどんなことが待っているのだろうか、と楽しみになってきたのもこの場であった。

IMG_1602.jpg▲かんそうの集う場。実際にはこの写真の2、3倍くらいの枚数のポストイットが貼られていた。


”自分のなんで実験室”は「わたし」「わたしとあなた」「わたしたち」という三つのセクションに分かれて構成されている。回る順番は自由。私は特にこのセクションにはこだわることなく、目の前にある作品から順番に見て回っていった。例えば台所用品が壁に規律よくかけられており、この道具たちに男か女で性別をつけてみる、といったことを考える場や他にも、とにかくクリップをつなげてみる、今日が特別な日でもそうでない日でも今日という記念日をつくりそしてその記念日の祝い方を考える、あなたが今もっているいらないものを使ってまちかもり(はやし?)をつくる、などといった作品や問いがあった。最初はこれらの作品や問いを見ても私はただ見て回るだけだった。そこに元々ある他の人が作った作品や、書いた紙を読んで回るのがとてもおもしろかったからだ。自分が何かを作ったり書いたりするよりも他の人の作品や書いたものを見て回る方が断然おもしろいと感じていたのだ。しかし自分の感性を作品や文字で表現するのは少し恥ずかしい、といった感情も同時に持っていたと思う。さらに壁にかけられた台所用品に性別をつけることに関しては、「もし見た目は男だけど心は女とかだったらどうするのよ?」と疑問を投げかけている自分もいた。

 

IMG_1604.jpg▲壁にかけられた台所用品。どれが男でどれが女?男女では分けられない?


他にも多くの作品ががあったが、すべて一通り見て回り、最後のセクションまで来たときにビビっときたものがあった。それは「境目の作品」というものである。内容はおとなっていくつ?こどもっていくつ?それに自分なりの理由をつける、というものであった。私が”自分のなんで実験室”を訪れた1月12日は成人の日であった。私はこの日新成人と呼ばれる立場にいたため、おとなやこどもといったワードにビビっときたのではないか、と思う。ここでも同じく他の人の考えを読むのが楽しかった。素直に年齢を答えている人もいれば数字は全く使わずに答えている人もいた。素直に年齢を答えている人でもおとなの年齢とこどもの年齢に同じ年齢を書いている人もいれば、違う年齢を書いている人もいて、今までの作品や問いの中で一番多種多様な答え方があったのではないか、と思う。そしてここに来て初めて自分の考えを文字化したのもこの問いを見つけたときであった。そしてしばらくソファーに座り様々なことを考えては書く、ということを繰り返していた。ここでも台所用品のときと同じく「おとなって何よ?こどもって何よ?」という問いに対する疑問から私は考えはじめた。

 

IMG_1607.jpg▲境目の作品。この紙を見ながらしばらく考え込んでいた。


ここでは紹介しきれないくらいの作品と問いがあった”自分のなんで実験室”。ここでは私たちが作った作品や問いの答えには正解がない。その作品と問いの多さ、そしてその答えに正解がない=答え方のバリエーションの多さがより多くの人たちに楽しんでもらうためのポイントなのではないか、と私は思う。ある単一のものを使って唯一の使い方やルールのみ許されるものでも楽しいと感じる人はいるだろうが、より多くの人には楽しんでもらえないかもしれない。また”自分のなんで実験室”のようにアートを利用したものはその作品を作った人の感性がより反映されやすいと思う。今やアートはアーティストだけが関わるものではなく、誰もが関わることができるようになってきている。まちづくりとしてや楽しみを提供するために、反対に楽しむためになど誰もが関わることができる。そのときに自分とは違う感性を持った人やでできたものを否定することから始めるのではなく、どのような感性からそのような作品になったのか、とまずは考えることができるようになることが大切なのではないか、と思う。すべての感性や作品を好きになる必要があるわけではない。自分とは違うから、という理由でいきなり否定をしなければいいのだ、と私は思っている。そして本当の意味で「違いは違いのまま伸びていった方がおもしろい」と思えるようになりたいし、このように思う人が世の中に増えていくような仕組みづくりを私もしていきたい、と思った。

 

 

カテゴリー: モトトモ

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