MELC(長岡ゼミ)のブログ

DIALOG IN THE DARK だからこそ体験できるDIALOG

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ずっと行きたかった暗闇の中のエンターテインメント「DIALOG IN THE DARK(ダイアログ・イン・ザ・ダーク)」に11月19日に行ってきました。真っ暗闇の中を、視覚障碍者の方(アテンドさん)と一緒に歩き、色々なアクティビティを行うこのプログラム。誰が誰かも見えない状態でどうやってダイアログするんだろう、そんな疑問を持ちながら私は友人を誘ってこの日をウキウキしながら待っていました。

けれども当日、開始時刻を勘違いしていたことに気付いた私は、一人遅れて参加することに・・・。思ってたよりも広く、なによりお洒落で静かな空間に思わずたじろいでしまいましたが、「今日は運動会をします!」というスタッフの勢いに流されるように、はちまきを選び、暗闇に関するレクチャーを受け、心の準備もないまま、場内へ突入。

「切明さ~ん!遅れて来た子と合流して~!」とスタッフの方が暗闇へ呼びかけます。

「はーい!」とどこからか声が聞こえ、気づけば手を握られていました。そこで初めて今私の目の前に人がいることに気が付きます。

「あ、大城来たんだ。」「遅いよ~!」と、見知った声(ゼミ生の村松も参加してました!)が聞こえ奥に人がいることも分かりました。

「ちょうど今から玉入れだからね、一緒に奥まで歩いていこう。」とそのまま手を引かれ、歩いていきます。すると、「みく、どこにいるの?あぁ、間に合ってよかったね。」と友人の声と共に、また手を握られました。

そして気付けば、そのまま玉入れ競争に突入。音のする方へと球を投げ、手元になくなったら拾いに行く、を繰り返します。皆は、「これ入ってるのかな?」「壁に当たった音がするww」など大盛り上がりです。

dialog in the dark.jpg

しかし、私はそのとき実は暗闇への不安でいっぱいいっぱいでした。

部屋の全体像が分からないし、誰がどこにいるのか把握できないうえに何が行われてるのか分からない。なんでみんながそんなに盛り上がっているのか、理解ができませんでした。自分が”いまここにいる”と感覚がないのです。

しばらく暗闇の中にいても、目はいっこうになれる気配を見せません。自分が持っているものですら、鼻先まで近づけて眺めてもよく分からないんです。

早く明かりをつけて、種明かしをして!!と思うくらい、不安でいっぱいでした。

 

しかし、そんな私はお構いなしにプログラムはそしてハイテンションな皆は、その後場所を移しながら(歩いている感覚もいつもと違って不安なのです)、触覚を意識した手を握り合う競技、嗅覚を使う二人三脚、暗闇の中にあるカフェでティータイムをして味覚を感じて、終わりを向かえてしまいました。

しかしその時、私は不安を抱えながらもいつも間にかハイテンションになっていた自分や、それは一緒に過ごしたほかのメンバー9人とアテンドをしてくれた切明さんへの信頼感や安心感を感じているからだ、ということに気が付きました。

 

まず、一番初めに切明さんや友人が握ってくれた手の温度や感覚が、ざわざわとした心を落ち着かせてくれたことを思い出します。

その後も、メンバーのマイケルの肩に手を置きながら前へと進んだことや、ダニエルに玉入れの玉を手渡してもらったこと、ゼミ生の宮田と声をかけあって二人三脚したこと、皆で協力しあってお茶を飲んだこと、などなど。

一人では不安で何もできない環境で、ゼミ生や今日初めて会う声しか分からない人と協力し合って、切明さんのサポートを受けることで、私は”いまここにいる”感覚を視覚なしに得ることができていたのです。

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そして、その信頼感は声と暗闇でのふるまいでしか互いを図れないからこそ、生まれたのではないでしょうか。

プログラム終了後、暗闇を抜けたエントランスで「ありがとうね」と握手を交わすとき私は初めて切明さんの顔を見ました。その時、正直に言うと私は少しどきっとしたのです。

いままで視覚障害の方と触れ合う機会が全くなかった私にとって、そこにいたのは”サポートしなければならない人”だったのです。そんなことを感じた自分にびっくりしました。なぜなら切明さんは、ついさっきまで不安な私の手を握ってくれて、運動会を盛り上げていた”サポートしてくれる人”でした。しかし目で見た瞬間に脳が一瞬で真逆に変換してしまったからです。

さらに、メンバーには聞きなれた声の友人やゼミ生もいれば、初めて聞く声のマイケル・ダニエルという男性2人もいました。

少し低めな声で流暢な日本語を話すので、てっきり留学生かハーフの方がいるのだろうと思っていたのですが・・・。顔を見て話を聞くと、なんと二人とも日本人で千葉県出身の同じ大学の一年生。ため口で一緒に競技を行い、頼れるなあと思ってサポートしあっていた人たちが、年下だったなんて!ていうか日本人なんかい!と思わず笑ってしまいました。

 

しかし、あの暗闇の中で一緒に運動会を行った10人は、あの場あの瞬間確実に”対等”であったのです。

しかし顔を見るとほぼ無意識的に自分の振る舞いが変わってしまったことに気づき、明るいところで10人とふれあい話す時間と、暗闇の中でのそれは全く異質であることをとても感じました。

暗闇は、私たちからものすごい情報を覆い隠していきます。けれども、その中での振る舞いのみでつくりあげていく関係性は、年齢や障害や性別や立場に惑わされない対等で信頼感のあるものになるのかもしれない。

日常生活で対等なコミュニケーションをとることの難しさと、対等である感覚の素晴らしさを体感した、濃い90分でした。

 

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カテゴリー: みくそん 越境レポート

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