MELC(長岡ゼミ)のブログ

居心地のいい空間で会話を楽しむ

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103日(金)、毎月第一金曜日に定期開催されている加藤先生(慶應義塾大学)と長岡先生(法政大学)の共同プロジェクト、「自画持参」に参加してきた。場所は市ヶ谷駅から歩いて5分ほどでつくCafé KATY。「自画持参」とはどういった試みなのか。詳しくは下のURLを参照していただきたい。

 

http://jigajisan.net/

 

この中から言葉を借りて簡単に説明すると、「自画持参」はあたらしいコミュニケーションの場をデザインするワークショップである。近年、関心が高まっている創造的な場づくりのためのワークショップの会場で一方的に見るだけ、聞くだけになってしまっていないか。それで本当に創造的なコミュニケーションは実現しているのか。「自画持参」はコミュニケーションの場をデザインすることの意味と方法を、再度問い直す試みだとある。


では具体的に何をするのか。参加者は自分の名前を紙に書き、カプセルに入れる。そして、参加者全員分の名前が入ったカプセルをひとつの袋に入れる。次にテーマをひとつ決めて、それに関連する「スピーチのお題を」一人ひとり考えて紙に書き、カプセルに入れる。更に、お題の入ったカプセルを、名前の入った袋とはべつの袋に入れる。お題の入った袋からランダムにカプセルをとり、発表。それがスピーチの内容になる。2分後、名前袋からランダムにカプセルをとり、当たった人が3分スピーチをする。その後、全体で会話をするといった流れだ。

 

今回の参加者は8人。「芸術の秋」、「噴火」など今どきの話題がいろいろでたが、最終的に決まったテーマは「値打ち」。辞書によると、①その事柄が持っている価値 ②品物の値段 ③ねぶみ、という3つの意味がある。今回は「値打ち」に関するお題を参加者一人につき多くて2つ、もしくは1つ考えて、そのお題がスピーチの内容になる。

 

最初のお題は「自分の値打ちをアピールしてください」で、スピーチに当たったのは私だった。スピーチ自体はあまり面白いものにはできなかったが、その後の対話では車について話すことが多かった。「車は1年間でほとんど使うことがなく、計算するとタクシーを使ったほうが安い値段で済ませることができるとわかっていても、車を売ることができない」という人。それに対して、「自分のものだから運転していて楽しい」という意見がでたり、「ハイブリットカーは高速道路を走る場合はずっと走り続けるため、燃費が悪い。逆に、一般道路を走っては止まるを繰り返していると燃費がいい。」なんて話が聞けた。

 

次のお題は「あなたにとって最も値打ちのあるものは?」というもの。これについても、対話の時間には実に多様な意見があった。「10年愛用してきた車には愛着があり、そこに値打ちがあるのではないか」といった意見や「大学受験の前に買った腕時計はやっぱり自分にとって戦友のようなもので手放し難い」といった意見が出た反面、「いや、自分は持っていないけど、誰かが持っていると素直にいいなとおもうのは値打ちがあるからじゃないか」のような考えも出てきた。正直どっちにも思い当たる節があるし、自分はどっちなのだろうと考えていると、「値打ちってものだけに限るものじゃないよね。というよりものが関わっている自分の体験、エピソードに価値があるんじゃない」という意見も出た。値打ちっていったいなんなのだろうか。

 

そして更に、お題は「定食でいくらまで出せる?」へと続いた。定食の値打ちを聞いているのだろうが、これで3分間スピーチをするのは酷だと思った。しかし、語り手の自分のお気に入りの定食について話したり、値段の話をしたりときっちり3分間話し切ったのはすごかった。どんなお題でもこれだけ話せるように自分もなりたいと思う。スピーチの後の対話の時間になると、「学食なら定食は500円くらいで済む」、「サラリーマンをやっているとき、ランチは基本ワンコインで済ましたかった」、「週に1回くらいは1000円以上のランチを食べる」といった意見が出た。また、「自分の行く店ではメニューは壁にたくさん書かれていて、どんな組み合わせでも出してくれる、ある意味全部が定食だ」という話もあった。

 

最後のお題は「値打ちの基準は?」。3分間スピーチをした人は大きく2つの基準を設けて、ひとつは今現在必要なものか、そうでないか。鼻をかみたいときにティッシュはすごくほしいものになるが、そうでないときは大した価値はない。もうひとつの基準は代替できるかどうか。取り換えのきかないもの、希少性の高いものには値打ちがあるのではないかという考えだ。一方、対話の時間に出たのは、「それがもう二度と見られなくなる、使えなくなるといった状況になると、今まで見向きもしなかったものにも関心を抱くようになる」という意見。例えば、住んでいた緑の多い地域から都内に引っ越すことになると、簡単には見れなくなる自然が愛おしくなる。利用している間は興味が全くなかった電車でも、運用が終了するとなると写真をとりにいってしまうといったことだ。ここから、「エピソードを積み重ねることで値打ちのあるものになっていくという一面がある一方、もう見られなくなるという期限がどんどん近づいてくることで値打ちが出てくる2つの面があるのではないか」という話になった。今日の話でここが一番なるほどと思った。

 

4つのお題が出て、その都度話し合いがあったのだが、一番率直に感じたことは緩いということだった。これは全く批判しているわけではなくて、場がピリピリしたり、妙な緊張感がないのがすごく印象的だったということだ。私がこれまで参加したワークショップはファシリテーターがいてこの時間までにこの話をして、最終的にまとめたものを全体でシェアするといった流れだった。しかし、「自画持参」ではスピーチ以外はずっと会話をするだけだ。場を無理に盛り上げようという意思もなく、ただ自然に会話が進む。何かをしなければいけない圧迫感などなく、居心地がいい。おしゃべりの延長線上にあるようだった。しかし、私のような大学生が普段する身内受けのいい、または身内にしかわからない話ではなく、値打ちというものに対して自分の体験、エピソードをもとに話をしていた。パブリックな話題を自分の個別具体的なエピソードで語るのが私たちのしようとしていることなのだと思えた。

 

「自画持参」に参加してみて、ただただ会話を楽しんでいたと後から思った。ランダムで話者を決め、テーマを決める。カフェで、ビールを飲みながら、ケーキを食べながら、会話をする。話す内容は決まっていないし、最終的に何かを達成しようということでもないと思う。しかし、新しいことを生み出したいのなら、会議室で形式のある会ではなく、なんのストレスも感じない自然体でいられるような場所を作り、ゴールの決まっていない会を開くことのほうが必要なのかもしれない。今回は値打ちについて話し、それについて考えを深めた。普段あまり考えないことだが、皆で話し合うことで色んな側面をみることができた。次の会ではまた違ったテーマ、違う話者が現れる。その時、この場所はどのようになっているだろうか。大盛り上がりしているかもしれないし、話者は難しいお題を出されて四苦八苦しているかもしれない。しかし、様々な意見が出て、新しい発見があるに違いない。何も決まっていない、何が起きるかわからないというのは、不安に思う一方、期待もしてしまう。そんなことを思った「自画持参」だった。

 

最後に、ある人がワインをもらった話をしたい。ある記念で、ワインをプレゼントされた人がいたのだが、いつ飲むべきなのか決められないそうだ。話し合っていると、ワインには飲む楽しみといつ飲むか悩む楽しみの2つの値打ちがあるのではないかとなった。ワインを2本もらえれば、もらった場で1本を飲む楽しみに使える。もう1本は保存して、いつ飲もうか楽しみにできる。ワインに限ったことではないが、2つプレゼントするとこんな利点もあるのだと覚えておくのもいいかもしれない。


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