MELC(長岡ゼミ)のブログ

カフェゼミ -意識していないものに目を向け、関係を改める-

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カフェゼミ2013第3回、テーマは「私とゼミの関係」について考えるというテーマで開かれました。

ゼミとの関係、、、そもそもゼミって?わかったようなわからないようなものを皆で考えることで自分とゼミの距離を知り、必要があれば関係を再構築しようという趣旨で6月のカフェゼミは行われました。今回はなんと37名もの方たちがが集まりました!長岡研は21名、長岡研じゃない方は16名、ほぼ5:5の人数比になってきました。


カフェゼミJune2013.jpg

 











まずは長岡先生のオープニング。外から来た参加者の方々に話を振っていきます。いろんな人が集まるので、それぞれ違ったゼミの環境がある事を知ることができました。研究室に炊飯器があるなんて!学生用の部屋がついているなんて!研究室には本棚と机そして大量の本、PC、ちょっとしたインテリアがある1ルームの研究室しか頭になかったので、始まりから自分の知っている事って少ないなと思わされました。


今回のカフェゼミではいつものカフェゼミとは違い、社会で活躍するゲスト1人の話をきくのではなく「学生3人」が話題提供としてゼミについて語りました。プレゼン形式は長岡研が今年取り組んでいる「ぺちゃくちゃ」方式にて。6分40秒でゼミへの思いを語ります。

1人目のスピーカーは青山学院大学大学院の中岡さん(通称:ヘルメさん)のプレゼン。駒沢大学時代のゼミの経験について語りました。入学してから「自由」というものを手に入れ生活していたが、自分のなかに枠がないため社会の流れに流されていたが、そんな自分にゼミはゼミという枠を与えてくれ、その中で主体的に活動していくうちに「生きている感覚」というものを教わったという趣旨の話をしてくれました。ヘルメさんにとってその「生きている感覚」というのが今のヘルメさんにとっての「自分枠」の形成に役立っているのかなと思いました。

2人目のスピーカーは法政大学の多摩キャンパスの緒方さん。緒方さんはゼミに2度も入りながらも辞めてしまった経験、そしてフリーで活動した中で出逢った師匠や仲間、そしてありたい自分の姿を見いだす大切さを学んだことをプレゼンしてくれました。緒方さんが最後にいった「ゼミであれなんであれ、自分が本当にやりたいことをやれることが最も大切だ」という訴えかけが心に突き刺さりました。

3人目はわたくし山根がプレゼンいたしました。私がゼミの思いを長岡研のたくさんいる中で話しても仕方ないので、インターネット上ではゼミについてどんな見方がされているのかを調べ、発表しました。たくさんの質問のなかで、ゼミというものが単位でしかなかったり、就活の道具化してしまっていたり、自分を高めていく場としての魅力が薄れてしまっているという側面もあるという問題を紹介させてもらいました。


プレゼンの後は休憩を挟んでディスカッション。ディスカッションではガチャトークを用い、普段何気なく思っていた「ゼミに関する素朴な疑問」を皆から募り議論をしました。

<ガチャトークについて 〔自画持参〕 http://jigajisan.net/

お題ひとつ目は「次の世代の子供たちのために何をしますか?」という議題。む、、難しい…。当たったスピーカー関野さんは「自分の子供に正しい選択肢を与えられるようになりたい」という話をしてくれました。テーブルの議論では、私のテーブルでは自分たちが後悔している事や失敗した事を子供が繰り返さないように教訓を伝えていきたいという議論になりました。

ふたつ目のお題は「居心地の良いゼミ、居心地の悪いゼミ」。当たった塩田くんは「思った事を言えて、主体的に活動できるゼミが良い。言われるがままだったり論破される危険があるのはちょっと怖い」という話をしてくれました。

テーブルの議論をした後に全体のディスカッションへ移ります。議論になったのは「ゼミ居心地について」でした。果たして自分にとって居心地の良いゼミって本当に良いゼミなのか?少し自分にとっての危うさみたいなものがないといけないのではないのか?だったり、そもそもゼミの為に頑張ろうとかいう姿勢が驚きだという意見を発端に、ゼミを良くしようという働きかけが学びにつながるのか?それともそういう姿勢自体がある種日本企業的であって、かえって危険ではないのか?という議論にまで発展し、タイムアップとなりました。

さまざま人が集まり、「ゼミ」という話題でかなりの盛り上がりをみせた6月のカフェゼミ。私は今、このカフェゼミを通して2つの問いに直面しています。

ひとつ目は長岡先生がラップアップで言った「ゼミという3時間をどう捉えるか?」という問いです。私のゼミは木曜の午後3時間のみ。それ以外の時間は各自で活動し、また翌週の木曜日に1週間分の経験を持ち帰りゼミに臨みます。果たしてゼミ以外の時間で、自分は日々どれだけ努力をしたのでしょうか?どれだけの経験をし、学んだのでしょうか?活動の振り返りの場としてもうけられているゼミの時間に振り返りをする材料(=経験)がなければゼミで得られる学びは限りなく少なく、浮き足立ってしまいます。本当に1週間私は努力したのか?シビアに考え方を改めないといけないなと思いました。

ふたつ目は「今日の全体のディスカッションに何故参加することができなかったのか?」です。長岡ゼミは自作自演のスタイルをとっています。そうであるなら、ゼミについて考えようと言いつつディスカッションに参加できないという事は非常に問題だったと終わってみてから感じました。私の中で参加者意識から脱却することができず、そのために議論に入り込まず俯瞰してしまったのだと思います。こういう参加者意識がゼミの議論の質を低下させ、良いゼミというものから遠ざかってしまうのでしょうか。「主体的に活動できるのがゼミの良いとこ!」といいながらこれでは元も子もありません。ここも真剣に考えを入れ替えないといけないなと思いました。


少し(いや、かなりか…)反省の弁が続いてしまいましたが、今回のカフェゼミを通して「私とゼミとの関係」をより良くするためのヒントが少し見えたのではないかなと思います。

わかったようなわからないような「ゼミ」という言葉をあえて議論することで、いままで気づかなかったことに気づいたり、自分が普段当たり前だと思っていたことが実はそうではなかったりもすることに気づかされました。なんとなく知っていると言う状態が、実は大切なポイントをいくつか見逃していることになっているのではないでしょうか。意味を理解し大切に扱うだけで世界観は広がり、そこにある綻びを見つけ問題意識へと発展するのでしょう。ゼミだけでなくいろんな言葉についても同じことが言えそうです。言葉の意味をぞんざいに扱うことなく、大切に使っていくことも必要な学びの姿勢なのかなと思わされました。

<当日のつぶやきまとめ http://togetter.com/li/518158

カテゴリー: やまね カフェゼミ

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