MELC(長岡ゼミ)のブログ

高校生の話を聞くということ

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 6月15日(水)に、NPOカタリバが行っている高校生のキャリア教育支援ボランティア、「カタリ場」に参加した。「カタリ場」は、大学生を中心としたボランティアが高校へ行き、高校生と本音で語り合う100分〜120分間の授業だ。NPOカタリバは、高校生が自らの将来について考えるきっかけを作るのを目的に、毎年300校以上の高校で「カタリ場」を行っている。

 

0db048322406acb3c631aeeed97e7002_s.jpgプログラム「カタリ場」では、同じボランティアスタッフでも企画ごとに役割が違う。その高校の企画をいちから作り上げる「コア」3人、企画の中で今までの自分の人生の話をする「サンプリング」担当8人ほど、そして高校生と語り合う「カタリバキャスト」である。多くのボランティアスタッフがこの「カタリバキャスト」として企画に参加するが、今回私も「カタリバキャスト」として初めて企画に参加した。

 

参加を決めたのは、過去に私も「年上の人に話をきいてもらって楽になった」という経験があるからだ。中学校時代、周りに馴染めない時期があった。個人的にとてもつらかったが、親にも先生にももちろん友だちにも、誰にも言えなかった。そんなとき、心理カウンセラーの方が1ヶ月ほど私の通う中学校に来てくれた。当時23歳くらいの、若い女性の方だった。私は悩みを打ち明け、その方と一緒にこれからどうするか話し合った。心の中に秘めていた思いを聞いてもらえたのと、これからのことを一緒に考えてくれたことがとても嬉しく、心が軽くなったような、体重が軽くなったような感覚をおぼえた。だから今度は私が、カタリ場という機会を通じて、自分のしてもらったことを返そうと思った。

 

迎えた当日、私はとても緊張していた。カタリ場への参加は初めてだからこんなに緊張するのだと思ったが、10回以上参加している先輩も同じように緊張していた。「何回行っても、出会う子は毎回違う。そしてその子には、おそらくもう二度と会えないから、毎回緊張するんだよね」先輩の言葉に、毎回、一度きりの出会いに全力を注ぐ熱意が見えた気がした。果たして私は、120分間変わらない熱意を持って生徒に接することができるのだろうか。余計に緊張しながら、高校までの道を急いだ。

 

今回の企画は都内の高校で行われた。比較的女子が多めで、真面目で素直な子が多いと聞いていたが、実際もその通りだった。私は高校2年生の女の子6人をもたせてもらった。元気で明るいその子たちに、初参加の私は大いに助けられた。その中で一人、この学校を代表するかのようなまじめな女の子がいた。その子に渡したワークシートは各項目すべてぎっしりうめられていた。私の話を聞く時もまっすぐに目をみて頷きながら聞いてくれる。そんな彼女は実は部活動で悩みがあるらしかった。彼女は技術が高く、今まで部活動の中で一番うまいと言われていたが、新1年生の上手な子が入ってきてプレッシャーに押しつぶされそうだという。また、皆をまとめるポジションにいるために、コーチや先生からの重圧もかさなりスランプに陥っていると話してくれた。

 

会話は時間の関係上、そこで終わってしまった。これでよかったのだろうか。この子に解決策を提示してあげることができたら、もっとよかったのではないだろうか。高校生に何かをしてあげたい、してあげなければと思い込んでいた私は、残念で悔しい気持ちになった。しかし、「カタリ場」終了後、彼女に渡してあったワークシートが戻ってきて、それは余計な心配だったのだと気づいた。彼女のワークシートには、「今日は少しだけど、悩みを聞いてもらえてよかった。」と書かれていた。これを見た瞬間、嬉しさがこみあげてきた。聞くだけでも、この子の力になれたのかもしれない。そう思うと、少し誇らしく思えた。

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誰かの相談に乗ろうと思ったときに大切なのは、こちらがアドバイスを与えることではなく、その人の中にある思いを引き出していくことなのではないだろうか。与えようと思う気持ちが前に出てしまうあまり、その人が求めてもいないのに勝手に「アドバイスを与える」ことは、余計なお節介になりかねない。与えようと力まなくても、今回の女子生徒のように聞くだけでその子の力になれることもある。今回の「カタリ場」への参加は、キャストとして高校生との関わり方を考え、多くの気づきを得ることができた。

カテゴリー: Emily 越境レポート

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